もう一つの道は、速度勾配から粘性による散逸を直接計算し、空間で積分することです。粘性エネルギー損失と呼び、単位は W(ワット)になります。
エネルギーの単位ではなく仕事率の単位である点に注意してください。「1心拍でどれだけ失われたか」ではなく、「いま毎秒どれだけ失われているか」を表します。
狭窄が加わると桁で変わる
胸部大動脈の粘性エネルギー損失の研究の値は次のとおりです。
健常 2.3 mW。拡張のみ 3.6 mW。拡張に狭窄が重なると 14.3 mW で、健常の約6倍。
圧較差との相関は r² = 0.91 と強い。群間差は明瞭に出ます。
運用上の注意が二つある
一方、この研究からは指標を運用するときの注意が二つ出ます。どちらも、値そのものより重要です。
損失の71%は上行大動脈で生じます。 つまり計測範囲をどこからどこまで取るかで、値が大きく動きます。上行大動脈を含めるか含めないかで倍近く変わる可能性がある。範囲を書かない報告は比較できません。
拡張だけの群では大動脈径と相関するのに、狭窄群では相関が消えます(r² = 0.14)。径を見て損失を推測することはできない、ということです。形態から流れを推定する方向には限界があります。
輪郭抽出の差だけで7%動く
さらに、観察者間のセグメンテーション差だけで ±1.75 mW、値の 7% が動くという数字が示されています。
これは第4章で見た原理の帰結です。粘性エネルギー損失は速度勾配から作るので、空間微分を含む指標です。したがって分解能と輪郭抽出に依存します。輪郭が動けば、壁際の勾配が変わり、積分値が変わる。
第3章で「絶対値の施設間比較は成立しない」と書いた理由が、ここでも同じ形で現れています。
名前が同じでも中身が違う
ここで一つ、実務で必ず問題になる点を書いておきます。
「エネルギー損失」という名前の指標には、少なくとも二種類あります。この記事で扱った粘性散逸だけを見るものと、前の記事で扱った乱流成分を含むものです。同じ言葉で呼ばれ、単位も似ていて、値は違います。
さらに次の章で出てくる心エコーの側のエネルギー損失は、2次元断面内で計算されます。3次元で積分した値とは、そもそも次元が違います。
どの手法で出した値かを書かなければ、その数字は比較できません。 第2章で身につけた三つの読み方のうち、「閾値を確認する」と同じ構図です。指標の名前は定義ではありません。