1-4 血流は血管壁に何をするのか
壁面せん断応力の報告値と内皮の流れ応答
動脈の生理的な壁面せん断応力は 10〜70 dyn/cm²、静脈は 1〜6 dyn/cm² です。内皮細胞の実験で擾乱流を模した条件は平均 0.5 dyn/cm² 前後で、この桁の違いが遺伝子発現を切り替えました。
1-3前の記事で、壁面せん断応力が「壁での速度勾配 × 粘度」だと確かめました。では、その値はどのくらいになるのが普通なのでしょうか。
Pa と dyn/cm² の換算
この分野には二つの単位が併存しています。Pa(パスカル)と dyn/cm² です。換算は単純で、1 Pa = 10 dyn/cm² です。古い文献と動脈瘤の文献では dyn/cm²、4D Flow 系の文献では Pa が多い、という程度の傾向があります。
自分の解析結果と文献値を比べるとき、この換算を忘れて10倍ずれた議論をしてしまうことは実際に起こります。下の目盛りをドラッグすると、両方の単位と、その値がどの範囲に相当するかが同時に出ます。
動脈・静脈・病変好発部の報告値
同じ総説1が挙げた値を並べます。生体で報告された範囲と、 細胞実験で与えた条件が混在しているので、区別して読んでください。
| 対象 | 壁面せん断応力 | 種別 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 動脈(生理的範囲) | 10〜70 dyn/cm² | 生体の報告値 | 維持水準はおよそ 15〜20 dyn/cm² |
| 静脈 | 1〜6 dyn/cm² | 生体の報告値 | 動脈より一桁低い |
| 擾乱流を模した実験条件 | 平均 0.5 dyn/cm² 前後 | in vitro の設定値 | ±4 dyn/cm² 程度に振れる |
三行目の性格に注意してください。 0.5 dyn/cm² は、内皮細胞に擾乱流を与えるために step-flow chamber で設定した条件です。ヒトの病変好発部で測った平均値ではありません。 生体の病変部の実測値は撮像条件と解析条件を含むため、3-4第3章で見るとおり 施設をまたいだ代表値としては使えません。
そのうえで押さえるべき点があります。実験条件の平均値は生理的範囲より二桁近く低く、 しかも振れ幅が平均を大きく上回っています。プラスとマイナスを行き来している状態です。
この二つの特徴——小さいことと向きが定まらないこと——は別のことを言っています。後で別々の指標になります。
層流と乱流で切り替わる内皮の遺伝子発現
数値の差が病気につながるには、壁がその差を感知していなければなりません。この総説の中心はそこです。
方向の定まった層流を受けた内皮細胞は、KLF-2 という転写因子を介して eNOS などを上げ、抗酸化・抗炎症の側に振れます。一方、擾乱流の条件を与えると NF-κB と活性酸素種が上がり、単球を呼ぶケモカインや接着分子、マトリックス分解酵素が誘導されます。
同じ細胞が、受ける流れの性質だけで逆向きに振る舞います。これが内皮の流れ応答で、壁面せん断応力を指標として使う根拠になっています。単に相関があるという話ではなく、感知する分子機構まで辿れているということです。
壁面せん断応力の桁による解析結果の一次判定
桁を覚えておくと、一次判定に使えます。動脈の解析結果が 10〜70 dyn/cm²(1〜7 Pa)の桁から大きく外れたら、生物学的な発見を疑うより先に、単位と算出条件を確認するほうが早く済みます。静脈系は動脈と桁が違うので、動脈の基準値を静脈に当ててはいけません。
同じ総説1は、デバイス周りへの含意も述べています。ステント留置は段差を作って逆行流域を生み、吻合部の形を変えると低ずり域の位置が動き、それにつれて新生内膜過形成の場所も移ります。血管形成術後の再狭窄は6か月で30〜40%、ベアメタルステントで20〜40%という数字も挙げられています。
1-6次の記事では、この記事で出てきた「向きが定まらない」という性質を、どう数値にするかを扱います。
この記事で出てきた言葉
- 内皮の流れ応答
- 血管内皮細胞が受けているせん断の大きさと向きを感知し、遺伝子発現を切り替える性質。層流では保護的、乱れた流れでは炎症性に傾く。
引用文献(1 本)
- 1
ここで答えていない問い
- 向きが往復する流れは、大きさだけを見る指標では表せない。どうするか。
第1章「血流は血管壁に何をするのか」より 最終更新 2026-09-07