1-3 流れが壁に何をするか
粘度と傾き — WSS の中身を二つに分ける
WSS は粘度と速度勾配の掛け算です。傾きが集中しているのは壁際の薄い層だけ、そして血液の粘度は一定ではありません。両方が値を動かします。
前の記事で、壁面せん断応力は壁のすぐ内側の速度勾配だと書きました。正確には、粘度と速度勾配の掛け算です。
掛け算なので、どちらが動いても値が動きます。ここでは二つに分けて、それぞれが何で決まるのかを見ます。
壁のすぐ内側では、速度がゼロになる
ホースの中を水が流れているとき、壁に触れている水はどうなっているでしょうか。
動いていません。流体は壁に対して滑らない——すべりなし条件といいます。ホースの内壁に汚れが溜まるのは、壁際の水がほとんど動いていないからです。
すると、こういうことになります。壁での速度はゼロ。少し内側では、それなりの速度で流れている。その間に急な傾きができる。
この傾きが集中している薄い層を境界層と呼びます。厚さは条件によりますが、大血管でも1ミリに満たないことがあります。
ここが実務に効きます。傾きが集中しているのは、この薄い層の中だけです。 血管の真ん中の速度をどれだけ細かく測っても、WSS は出てきません。必要なのは壁際の1〜2ボクセルの情報だけ。
そして、そこが最も測りにくい場所です。壁の位置そのものが輪郭抽出で決まり、その内側1ボクセルの速度は部分容積効果でぼやける。第4章と第6章で「壁際の分解能」が繰り返し出てくるのは、この一点に理由があります。
血液の粘度は一定ではない
もう一つの因子、粘度に移ります。
水をスプーンでかき混ぜるとき、速くかき混ぜても遅くかき混ぜても、水の粘り気そのものは変わりません。こういう流体をニュートン流体といいます。
血液は違います。ゆっくり流れているとき、赤血球は連なって集合しやすく、粘度が上がります。速く流れて強くせん断されると、その連なりが崩れて粘度が下がります。せん断される速さによって粘度が変わる——これが非ニュートン流体です。ヘマトクリットが高ければ、粘度はさらに上がります。
ここから、少し落ち着かない事実が出てきます。低ずり領域では、粘度が上がる方向に働く。
第1章と第2章で扱う低 WSS の議論は、速度勾配が小さいことと粘度が大きいことの掛け算を見ていることになります。粘度を一定として計算していれば、その分だけ低ずり領域の WSS は実際とずれます。
下の図で、せん断される速さを動かしてみてください。
大血管の中心部(100〜1000 /s)では、実際の粘度は一定値とほぼ重なります。しかし低ずり域へ動かすと、粘度は一定値の数倍まで上がります。 低 WSS 領域を議論するとき、粘度を一定として計算していれば、その分だけ実際とずれることになります。
解析では、どう扱われているか
多くの解析は血液をニュートン流体として、一定の粘度を置きます。ではその値はいくらか。
第6章で読む国際チャレンジでは、参加チームの設定が 3.5 と 4.0 cPoise にほぼ二分されました。13%の差です。別のチャレンジでは 3.5〜4.01 mPa·s に散っています。同じ症例を解いているのに、入力の一つがここで割れている。
チャレンジの著者らは、不要なばらつきを消すために 3.7 cPoise・密度 1.06 g/cm³ に統一することを推奨しています。値そのものが正しいかという議論ではなく、揃えれば消える差を残すなという主張です。
非ニュートン性の影響について言えば、太い血管では形状や流量条件に比べて二次的だとされています。一方、細い血管や低流速の領域では効きます。頸動脈分岐のような場所を非ニュートンで解き直した研究があり、局所の値が動くことが示されています。
だから、何を書くか
WSS の値を報告するとき、この記事から出てくる要求は四つです。
仮定した粘度の値。 ニュートンか非ニュートンか。非ニュートンならどのモデルか。壁際に格子を何層取ったか、あるいはボクセルが何個入っているか。
この四つが書かれていない報告は、WSS の値を比べる相手になりません。定義の問題ではなく、掛け算の両方の因子が不明だからです。
次の記事では、この量が実際にどのくらいの値になるのかを見ます。桁の感覚を持っておくと、自分の計算結果が妥当な範囲にあるかを一次判定できます。
この記事で出てきた言葉
- すべりなし条件
- 流体は壁に対して滑らず、壁での速度がゼロになるという条件。壁際に急な速度の傾きが生まれる理由。
- 境界層
- 壁際で速度の傾きが集中している薄い層。WSS を決めるのはこの層の中の情報だけで、血管中央をいくら細かく測っても値は出ない。
- 非ニュートン流体
- せん断される速さによって粘度が変わる流体。血液は低ずり域で赤血球が連なって粘度が上がり、強くせん断されると下がる。
ここで答えていない問い
- この量は、どのくらいの値になるのが普通なのか。
第1章「流れが壁に何をするか」より 最終更新 2026-09-08