1-5 流れが壁に何をするか
拍動という条件 — 水道の水と何が違うか
心血管の流れは1秒に1回、加速して減速します。慣性が効くので流れは圧力に遅れ、壁際から先に向きが反転します。定常近似が破れるのはこの二つです。
蛇口を開けたままにすると、水は一定の速さで流れ続けます。工業用の配管の多くも、この状態を前提に設計されています。
心血管の流れは違います。1秒に1回、加速して減速する。 この違いが、解析の前提をいくつも変えます。
流れは圧力に遅れる
一定の流れでは、押す力(圧力勾配)と、それを妨げる力(粘性抵抗)が釣り合っています。二つの力の綱引きです。
加速と減速がある流れでは、ここに三つ目が入ります。慣性です。
動いている血液には勢いがあるので、圧力が下がってもすぐには止まりません。逆に圧力が上がっても、すぐには速くなりません。流れは圧力の変化に遅れて追随します。
この遅れは、目に見える形で現れます。大動脈弓で収縮期にできた二次流れは、拡張期になっても慣性で回り続けます。押す力がもう無いのに、流れの構造だけが残っている。
壁際から先に、向きが反転する
拍動流のもう一つの特徴は、向きが入れ替わることです。しかも一斉には入れ替わりません。
慣性は質量に比例します。血管の中心を流れる血液は速く、勢いがあるので向きを変えにくい。壁際の血液は遅く、勢いが小さいので向きを変えやすい。
結果として、中心の流れがまだ前向きなのに、壁際はすでに逆を向いているという状態が生じます。逆向きの流れが薄い層として壁に沿って動く時間帯がある。
壁が感じているのは、この壁際の流れです。前の記事で見た内皮のスイッチは、大きさだけでなく向きの入れ替わりにも反応します。次の記事で読む二つの指標——時間平均と振動の指数——は、まさにこの「大きさ」と「向きの入れ替わり」を分けて数えるために作られています。
下の図は、断面を横から見た速度分布を1心周期にわたって動かしたものです。中心と壁際で反転のタイミングがずれるところを見てください。
Womersley 数を 3 に下げると、断面全体がほぼ同時に反転します。20 に上げると、壁際の薄い層だけが先に反転して、中心は遅れて追いかけます。大動脈の Womersley 数は 10〜20 程度とされます。
1拍のうちに、流れの性質が変わる
もう一つ。加速と減速があるということは、同じ血管が1拍のうちに違う性質の流れを通過することを意味します。
収縮期のピークでは勢いが強く、乱れが生じます。拡張期には流速が落ちて、静かな流れに戻ります。第5章で、この切り替わりを判定する指標を扱います。大動脈では収縮期に乱流域に入り、拡張期にはほぼ層流に戻る、という往復が毎拍起きています。
つまり「この血管は層流か乱流か」という問いの立て方自体が、心血管では成り立ちません。時相を言わずに答えられない。
定常近似が許されるのはどこまでか
にもかかわらず、多くの解析は定常流——時間変化のない流れ——として解かれています。第6章で読む Fontan の研究群も、多くが定常解析です。
定常で足りるのは、二つの条件が揃うときです。時間平均量だけを見たいとき、そして慣性の効果が小さいとき。
逆に、次のような場合は定常では足りません。向きの入れ替わりを見たいとき(定義上、定常流には反転がありません)。加速期のピーク値を見たいとき。そして、慣性が支配的な場面です。
Fontan 循環には、さらに固有の事情があります。この循環では拍動よりも呼吸による流量の変動のほうが支配的で、吸気のときに肺が血流を引き込みます。心拍を精密に入れても、呼吸を入れていなければ主要な変動を落としていることになります。第6章で読むように、呼吸を境界条件に入れた解析はまだ少数です。
だから、何を書くか
定常か非定常か。 非定常なら1心周期を何ステップで刻んだか。呼吸による変動を入れたか。 そして、報告している値が時間平均なのか、ある時相の値なのか。
第6章で見る国際チャレンジでは、1心周期の刻みが 200 ステップから 100,000 ステップまで、500倍の幅で割れていました。刻み方が書かれていなければ、その値が何を表しているのかを読者は決められません。
この記事で出てきた言葉
- 拍動流
- 1心周期のうちに加速と減速を繰り返す流れ。定常流と違い慣性が効くため、流れが圧力の変化に遅れて追随する。
- 慣性の効果
- 動いている血液が持つ勢い。圧力が変わってもすぐには流れが変わらない原因で、壁際から先に向きが反転するのもこれによる。
ここで答えていない問い
- 向きの入れ替わりを、どういう指標で数えるのか。
第1章「流れが壁に何をするか」より 最終更新 2026-09-08